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Column
真ちょえん的日記
鎮魂の日。
2013年08月09日(金)
B-29「ボックスカー」はあの日、
小倉に3度の投下を試みるも失敗。
八幡大空襲の残煙にくすぶる小倉を去り、
悲劇の地、長崎へと向かった。

もし小倉に投下されていたなら。
市街地は跡形もなく消え、
私はもちろん、多くの友人たちが
この世には生まれていなかったと思う。

幾多の犠牲の上に現代の暮らしがあり、
私たちがいる。

 
 
原爆から68年が過ぎようとも、
世界中から核兵器はなくならず、
もちろん戦火も消えることはない。

国同士が大義を振りかざした戦争は
もしかしたら減っているかもしれないが、
テロ、対テロ戦争の悲劇は続く。
被爆国ながら日本がそういうものに対して
荷担している面もあるだろうし、
それを否定できない心情はある。

それでも、悲しみの連鎖を断とうとする
粘り強い努力がなお必要だ。

例えば、貧困層を減らしていくこと。
例えば、識字率を上げていくこと。

 
 
あの日、原爆が小倉で炸裂していれば
自分はいなかったかもしれない。
このおぞましさを想像すればするほど、
私たちは「ノー」を
唱えなければならないのではないかという
硬直した考えを抱いてしまう。

ただ、思考停止に陥ってはいけない。

戦争はノーだ、核はノーだと
叫ぶことは容易いが、現実を見れば
日本が「ノー」を唱えることは難しい。

世界の顔色を伺いながらも、地道に
安定した世界づくりに貢献する。
積極的な二枚舌を演じることは、
現代の日本が選択しうる道だと思う。

 
 
 
※画像は一瞬にして大多数が
 死傷すると言われる半径3キロ圏を、
 かつての地形図に載せてみました。
 小倉市街地がすべて含まれ、
 おそらくは戸畑や門司にも
 甚大な被害が及んだと考えられます。
 また小倉に原爆を落とせなかった
 理由の一つとされているのが、
 8月8日の八幡大空襲の残煙。
 八幡駅や中央町周辺なども空襲を受け、
 現在の若松区も被害を受けています。

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