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Column
真ちょえん的日記
勝山きのこ公園。
2010年06月29日(火)
梅雨らしからぬ雨である。そんな言い方をすると矛盾を孕んでいるが、梅雨の雨といえばじめじめ、じとじとしている印象が強い。それだのに、ここのところの雨といえば、バケツをひっくり返したような豪雨。どこかでまた災害でも起こるかもしれない。一週間も降り続いて山や崖が崩れるというのが梅雨時期特有の災害だと思っていたのだけれど、いまはどうやら違う。ひといきに何百ミリも降って、ひといきに崩れちゃう。ネオ梅雨とでも言うべきか。

区役所に行った帰り、勝山公園の芝生広場を通った。青々と茂った芝。晴れていたらごろごろしていたいなぁと思いながら見渡していると、茶色いものがにょきにょきと地面から生えていた。きのこである。去年も一昨年も山口市の中央公園できのこを見ていたが、どうやら勝山公園の芝もきのこにとっては居心地がいいらしい。2種類あって、どちらも環状に自生。ひとつは茶色でアセタケの仲間と思われる(有毒)。もうひとつは真っ白で柄がなくマシュマロのような感じ。ホコリタケだと推測されるが、白いきのこは有毒や食用に適さないものがほとんどなので要注意。犬の散歩をされる方も多かろうがきのこには注意してほしい。

それにしても都会のど真ん中にある勝山公園にもきのこである。不思議な感じがする。役所やビルに囲まれた空間の中で元気に胞子を飛ばすきのこたち。喧しい都会の、人工的に作られた公園にも自然は芽吹いてくれる。

決して非日常ではなく。
2010年06月07日(月)
ほたるです。

富野や足原の山中に端を発する延命寺川は
延命寺臨海公園のそばの関門海峡に流れ着くまで
3キロにも満たない短い川です。

その中流付近、
ちょうど大谷池から都市高速の富野ランプの間くらいで
この時期、ほたるが見られます。

夕方からその流域にある須賀町で打ち合わせ。
着いた頃はまだ明るかったのですが、
出た頃にはとっぷりと日も暮れていました。
そして、かなりの数のほたるに出迎えられました。

100万都市の中心・小倉北区で、
しかも横には都市高速が走っているというのに、
まだ自然が残っています。
大切にしたいですね。


●中国の契約思想

中国科学院研究員の孫歌さんのおもしろいエッセーを、
図書6月号に見つけました。

タイトルは「庶民の<契約精神>」。

中国では、
非人格的な西洋の"契約"精神がまだ行き届かず、
未だに顔社会、個人の道徳判断が残っていて、
契約の履行や社会ルールを守ることが
徹底されていないというお話。

このエッセーを読みながら、
案外日本でもそうだよなぁ、と思ったのです。

というのも、
日本ではほとんどの手続きが画一化された契約になっていて、
書類が揃っていればOK、
あるいは何かしらの不備を見つけてNG、
というのがもっぱらではありますが、
そこに書類以外の要素が加わるとちょっと複雑になります。

例えば電話をしたり、面会して契約に臨んだり。
そういうときには、
"人の良さそう" あるいは "人の悪そう" という印象が
契約を判断する相手に大きな影響を与えることがあります。
中国ほどではないにしても。

ただし、
そういう"人の良さそう"というレベルの判断を
全く禁じてしまうと、
すごく生きにくい社会になるでしょうし、
ルールを作る側に都合のいい社会になるでしょう。

9年。
2010年06月03日(木)
ひとが歩んできた何億年の道と同じように、
たったひとつの人生にも断絶や飛躍がある。
始まりがあり、終わりがある。

ひとは都合のいい生き物で、
いろんなことを絶えず忘れていく。

忘れるからこそ未来に目を向けられる。

時に現実からも目をそらす。

この9年間は、
現実から目をそらしてきたし、
おそらくこれからもそうだろう。
いや、これからはもっと、
もっと現実を避けていくことになるだろう。

歳を取っていくというのは、
そういうしたたかさなのだろうし、
案外、私は早くその境地に立ってしまったのかもしれない。


ひとが歩んできた何億年という道のりの中には、
不可解な飛躍と、
首の皮一枚で繋がった深い断絶がある。
それは人生と同じだ。
宇宙の中ではただの瞬きでしかないひとの生涯は
ひとの歴史、宇宙の歴史の縮図なのだろう。

気がつけばずいぶんと遠くまで来てしまった。
弱冠26歳。
この先にまだ道はないし、闇の中。
手に持っているのは、
寸分先しか照らすことのできない弱々しい行灯と、
乾ききっていない絵筆だろうか。

後ろを振り向けども、
この道を私は戻ることはできないだろう。
春うららかな道と灼熱の道の間に横たわる
険しい崖、深い谷を、
朽ちかけたロープ一本で渡ってきたが、
そのロープはもう底の見えぬ奈落に落ちてしまった。

私はいつか
この仄かな灯りを、
強い光を放つライトに変えられるのだろうか。
絵筆を握り替えて、
カンバスに大きな絵を描き始められるのだろうか。

慌ただしさの中に忘れてしまったことがある。
光を手に取るために、大きな絵を描くために必要なこと。
何を為せばよいか。
いまは忘れてしまっている。

それでも構わない。

忘れたからといって、
もう後ろは振り向かない。

過去は断絶された。
私はいま夏の闇夜へ歩き続けている。
振り返ればまだ暮れなずむ空が残っているだろう。
でも、夜を歩けばいつか日は昇る。

あといくつ崖をへつり、谷を渡ればいいのか。
分からない。
分からないけれど、
それがひとの道であり、
ひとが生きる楽しみなのだろう。

現実は絶えず過去のものとなる。
過去になった瞬間に、
崖も、谷も、
通るための腐心も苦労も
忘れるべき対象に変わっていく。

そして闇夜の先にある未来へと
目を向けなければならなくなる。

ひとの歩みである。

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