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Column
真ちょえん的日記
床が板張り。 2005年12月29日(木) 床が木の板。金属製のステップも錆びついてて、ノスタルジック。「まだこんなバスもあるんだなぁ」と感じる。
県庁発の新山口駅経由秋穂荘行きのバスだ。山口〜新山口駅間は1時間に4〜5本はある利用客が割合に多い路線。JRと完全に競合しているため、新しいバスがかなり投入されるているが、このバスのように最終目的地が秋穂では、古い車輌を使わないと採算に合わないのだろうなぁ…。 路線図製作中。 2005年12月28日(水)
時刻表検索、県央全域カヴァーへ! 2005年12月25日(日) ST.の時刻表検索を進化させるプロジェクトが個人的に始まっている。
県央エリアの主要停留所をすべてカヴァーしようという魂胆なわけで、対応路線・エリアを以下のようにしようと思う。 旧山口市域:コミュニティバスを含む全路線 旧小郡町域:全路線(小学校通学ダイヤ2便を除く) 旧秋穂町域:全路線 旧阿知須町域:地域バス、域内を通る宇部市営バス 旧徳地町域:県庁線と防府線 防府市域:山口駅、新山口駅、秋穂、徳地を結ぶ各路線 また、都市間バスとして、次の路線も対応させる予定。 秋吉:山口駅・新山口駅―秋芳洞・秋吉線 東萩:山口駅・新山口駅―東萩駅線 宇部:新山口駅―宇部中央線(快速・特急) 空港:新山口駅―山口宇部空港線 津和野:湯田温泉―吉部・津和野線(現在も検索可) いずれも主要停留所のみだが、現在、路線図も製作中で「地図から検索」にも対応できると思う。 問題はどう管理するか。 ST.内のコンテンツとして「ST. Busline」とさせるのはできると思うが(編集長も首を横には振るまい)、そうしてしまうと、宮野だけと思われて集客につながらない可能性もある。→せっかくの便利なコンテンツになるので、広く使ってもらったほうがいい。そうすると、ST.のコンテンツではあるけれど、同時に全く別のサイトとするのがいいかもしれない。まして、来年の管理のことも考えると余計にそうだ。であるならば「山口県央・バス検索(powered with ST. & kb.st)」(仮)としたほうがいいだろう。 編集長とも話し合いながら、1月末までには提供できるようにしたい。 参考:現在の時刻表検索 http://webst.sakura.ne.jp/busline/linemap_i.html 秋吉台は恩田陸の世界? 2005年12月25日(日) 陸の孤島のようなところにある秋吉台国際芸術村には、講堂の複雑な階段や石畳のテラス、夕闇に照らされる石造りの建物、山へと続く小路などなど、小説家・恩田陸先生の世界観を思わせる「仕掛け」がたくさんある。
「麦の海に沈む果実」とか、まるでここが舞台ではないかとさえ思わせる。 不思議な小説の世界に浸りたい人は、ぜひ一度、行ってみてください。 アクセス(とても不便です): 〈新山口駅から〉路線バス「秋芳洞」行、終点下車 タクシーで5分 〈山口駅、湯田温泉から〉路線バス「秋吉」行、八重が原下車 徒歩10分 リンク:http://www.artnet.or.jp/ 雪のツリーまつり。 2005年12月24日(土)
ふぅ。 2005年12月24日(土) サッカーメンバーと忘年会。
そのあと、堺町の「力(ちから)ラーメン」を食べて、帰路についた。 そういえば、週刊新潮の中吊り広告に「姉歯より少ない鉄筋量51キロは小倉のホテル」とあった。このエリアの読者を増やそうと考えた“ネタ”かと思いきや、どうやら全国の中吊り広告&新聞広告でこの見出しらしい。ちょっと気になる話題なので、小倉にあるビジネスホテルのウェブサイトをネットサーフィン(死語)してみたら、渦中のH設計が関わったことを公表しているホテルがあった。小倉にはかなりの数のホテルがあるため、これがその「小倉のホテル」かどうかは分からないが、黒崎のホテルがすでに休業しているだけに、こうした良からぬ事態が連鎖していくのはやめてほしいものだ。(なお、H設計が携わっていたホテルは、構造計算書の再計算を行い、「問題はない」としている。ホテルウェブサイトより) 写真は22日の午前9時ころの宮野。 宮野では5センチほど積もっていた雪も、湯田温泉付近では1センチあるかないか。いかに、宮野が寒いかが分かる(笑)。 ある朝の詩。 2005年12月21日(水) 動き始めた朝の街が好きだ。
灯の中で一夜を明かした若者たちが、一瞬の陰りを見せながら駅へと歩く。その横を、襟を整えたビジネスマンが通り過ぎてゆく。 道端には無数のゴミ。拾い集める人が朝陽を浴びながら、背伸びをする。 街はきょうの看板を掛ける。 道行くそれぞれが夜に背を向ける。 無常感を漂わせながら、こうして歩みが始まる。 旅は気まぐれに。 2005年12月17日(土) 今回の東京行はかなりの強行日程。ほぼまちがいなく0泊2日の旅となるからだ。
行きは新大阪まで新幹線。大阪に住む高校時代の友人に会って少し話をした後、大垣まで出て、夜行快速のムーンライトながらに乗車する。混み合うことが予想されるので、寝れるとは限らないのだ(それゆえ0泊)。 東京着はまだ暗い早朝5時。しかし東京駅で出てもしかたがないので、時間が来るまではネットカフェにでも寄って卒論を打つこととしよう。んでもってそれからが大変。参院会館やら、JICAやらに行ってお勉強っと。それが終ると新幹線で帰路へ。 とりあえず全行程を新幹線にせず、青春18きっぷ等々も組み合わせたので、びっくりするようなお値段にはならないけれど、今度は腰を落ち着けてゆっくりと旅をしようっと……。 っていうか雪すごいね。 「『ユキ』がふってる〜〜」………などと言ってると、編集長やら団長やらからパンチが飛んできそうだな。 ちなみに写真はチャチャタウンのイルミ。 12月のストーリー。 2005年12月12日(月) 山口線の汽車が、屋根に雪をつけてやってきた。
宮野は雪が積もり始めた。 ゆっくりと12月の明かりが灯りはじめ あわただしく踊る街を誰もが好きになる―― 部屋を染めるろうそくの灯を見ながら 離れることはないと言ったあとで 急に僕はなぜだか分からず泣いた いつまでも手をつないで いられるような気がしていた 何もかもがきらめいて がむしゃらに夢を追いかけた… 君がいなくなることをはじめて怖いと思った 人を愛するということに気がついた いつかのメリークリスマス… 立ち止まってる僕のそばを 誰かが足早に通り過ぎる 荷物を抱え幸せそうな顔で B'z、写真=イメージピクチャー 誰のためのゼミ? 2005年12月12日(月) 昨今、大学に行っても先生はいないし、電気が点いているのを確認して夜に行くとたいてい卒業生がいる。
それば別に構わないが、、、 最近のゼミ、スタディーツアー等々をとってもゼミ生以外の影がちらつきすぎる気がする。 卒業生のケアをするのは当然かもしれないが、目下学費を払って在籍しているのは現役生だということを忘れて欲しくはないと思う。 だいたいこの時期に、3週間以上も大学を空けるなんて信じられようか。卒論ドラフトを出せない場合は「年末年始に横浜まで指導に来てもらう羽目にならないとも限りません」、と。 ま、おおかた完成したし、別にいいんだけどね。 かなり腑に落ちないけれど。 あの先生といい、この先生といい、ほんと大学周辺にいつかないんだから…。 おいおい。 2005年12月12日(月) モノレールの上り(小倉行)では、香春口三萩野〜旦過間で「車内での携帯電話の使用はご遠慮ください」みたいなメッセージが車内放送で流れる。
んで、きょう乗り合わせたモノレールの1両目には、モノレールの50代くらいの社員さんが3人――。「JRA」のパンフレットを持っていたので、おそらく小倉競馬で人員整理なんかをした帰り、平和通駅まで行くのだろう。まぁ、それはいいとして、その人の携帯が「ピピピピピ!」と鳴って、話し始めた。 そして、くしくもモノレールは香春口三萩野駅を出て、旦過へ。「携帯電話は使わないでね♪」の放送のさなか、携帯電話でお話し中という状況に。。。 マナーはいつも携帯しましょうね・・・ 写真:香春口バス停付近から香春口三萩野駅方面を望む 大学絵巻「点と線」 2005年12月07日(水) ゼミの先生が、来年3月限りで職を辞すことになった。
わずかに4年。春風にのってやってきた使者は、つむじ風を巻き立たせながら、春風と共に去ってゆく。 恩師(私が師と言っても、ご本人がそれを好むかどうかは分からないが)が数年内に辞すことは、ゼミ生に共通の認識だったので、「来るべきものが来た」というのがおおよその印象だろう。ただ、私はその話を聞いて、ある種の不安を抱くとともに、事実の点と点を線で結んだ。大学に散らばった点だけでも、それはじゅうぶんに線となりそうな気がしたのだ。 (この話はいずれもう一度) --- shinchoen@sct.skr.jp http://shin.tn.st/ つれづれなるままに。 2005年12月03日(土) 最近、とにかく忙しい。
おまけに風邪を引いてしまって。。。 なんか「スーパー大学生」と言われたり。身近に「スーパーライター(記者)」と「スーパー営業マン」がいることもあって、なんか、そう言われてます↓ きょうは、某ベンチャーから依頼されているウェブサイトとフリーペーパーの打ち合わせのため小倉入り。 ちなみに今週は、早々に某協会の会報を仕上げて、そのあと、月曜に某NPO(市関連)の年次フリーペーパーの企画会議。さらには、某フリーペーパー新年号のページを上げたりと、なんとも忙しかった。 んで、その某ベンチャーの話がおもしろい。 ってか、やっぱ違うねぇ〜。経営者タイプの人間が上にいると、アイデアが突拍子もない。もちろん「おカネ」になるビジネスなんだろうけれど、プランのネーミングとか、人脈とかが、市民活動を軸にやってやってきたおいらとは違うもん。 それはそうと、そのベンチャーに出てる友達を待ち合わせるために、ラフォーレ地下のヴィレッジヴァンガードに立ち寄ったんだけど、やっぱいいね〜。あのポップというかコピーというかメッセージカードというか。。。惹かれます。 魚町、ちゅうぎんあたりのお店もころころ変わってて、小倉の「胎動」を感じました。この動きを山口に持ち込めたら、午後6時半には店が閉まってしまう山口の商店街も活気が出るんだろうけどなぁ。 あ、あと、クリスマスイルミ! きれいだった☆ イルミに関しては小倉はもちろん、山口でもきれいなところがあるので、どこかで紹介しますね♪ ワンセグ放送って何? 2005年12月03日(土) 地上デジタル放送に対応していないテレビは、2011年の夏から「画面つきの重たい箱」になります。うそ。いや、ホ・ン・ト。そのため、今テレビを持っている人は、地上デジタル放送に対応したテレビに買い換えるか、専用のチューナーを購入しなければなりません。
詳しくは、お近くの電気屋さんへGo!!! さてさて、それはそうと「ワンセグ放送」ってご存知ですか? 正確に言えば「ワンセグメント放送」ですね。ワンはもちろん、犬の鳴き声もしくはホークスの監督――。というのはウソで、ワンは1(one)。セグメントは、19世紀初頭のイギリスで考案された建築材料です。ウソです。それはセメントです。セグメントというのは部分とか区画とかの意味のsegment。で、ワンセグメント放送とは1区画放送なわけです。 で、ですよ。1区画放送とはなんのこっちゃ!? とお思いでしょう? おいらにもよう分かりません。というわけで、このへんでお開き。。。というわけにはいかないので、ある程度はきちんと説明してあげるヨ(怒) ワンセグ放送は、具体的には携帯電話など移動端末向けの地上デジタル放送のことです。「…それならそうと『携帯向け地デジ放送』と言やぁいいやん! 英語のままでも通じん、訳しても通じん、意味不明なカタカナ語にしやがって!!」と、まぁ、そうなりますわなぁ。ま、それは後回しで。では、なぜ1区画と言わなければならないのでしょうか。 理由。地上デジタル放送を推し進めたい人々が、1つのチャンネルを構成する周波数帯を13という世にも不気味な数に分けちゃいました。ちょっと分かりにくいですね。まぁ、要は、カステラとか栗羊羹とか金塊とか、まぁ、そんな長いものを13等分したわけです。んで、その一個一個をセグメント(区画)と呼ぶことにしたわけですね。なぜ「区画」と呼ばないかって? それはチミ、あれだよあれ。カタカナのほうがカッコええから。お茶よりもチー、秋葉原よりもアキバ、まぁ「ジス・イズ・ア・ペン」の世界ですよ。 んでもって、そのうちの1区画を、携帯電話向けの放送電波を流すために使おう! としちゃったわけですね。 13の区画のうちの1区画を使うから、ワンセグメント。なんと分かりやすいのでしょう〜! ありゃ? 分かりにくいって? どうしても納得の行かない方は、お近くの電気屋または総務省へ。 なお、ワンセグ放送は06年4月から順次、サービス開始。地上デジタル放送は現在サービスを拡大中で、この日記をご覧の方の多くは06年10月には視聴できるようになります。ワンセグ放送を受信できる携帯端末については、おそらく、N○Tドコ○モ と a○byKDD○ が用意していると思いますので、詳しくはお近くの○ーダフォ○ショップへ(をぃ)。
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