kbst.net 2009|新春特集
kbst.netのトップページ 新春特集のトップページ
「南ア」への道 〜ヒデ後の戦術
 2010年に南アフリカで行われるFIFAワールドカップサッカーへ向けて、正念場の日本代表。予選突破に何が求められているのか、中田英寿に関連した記事で課題を見つけてみたい。

= = = = = = = = = =

 「まだまだ力が足りないことを実感した。結果を素直に自分たちの力と実感して次につなげるしかない」
 ブラジルに惨敗した日本代表。グランドで起き上がれなかった中田英寿は、2敗1分に終わった今大会を短く振り返った。

 プレスをかけないサントス、疲れが著しい俊輔――。交代すべき選手は、巻でも、小笠原でもなかっただろう。小野を投入した時点から、日本は「3−2−5−0」のようなFW不在の陣形に変わった。どうやって点を取るというのだろう。
 多くのサポーターたちの頭上には、クエスチョンマークが浮かんでいたに違いない。

 この試合に意味を求めてはいけないのかもしれない。試合終了後、中田はグランドに仰向けに倒れ、目には涙が浮かんでいた。
 日本代表を襲った悪夢。ドーハの悲劇、屈辱のフランス大会……それらの光景が重なった。中田はこの大会に照準を合わせてきた。悪夢の再来に中田の心中は察するに余りある。

 「内容どうこうよりも勝つしかない」、「足がつっても、グランドで倒れてもやる」。度重なる辛酸をなめてきた中田や川口は第2戦・クロアチアと引き分けた直後にそう語っていた。彼らの熱意は彼ら自身のプレーからも見て取れた。ボールを追って駆け回る中田、スーパーセーブを連発した川口――。「俺らが頑張れば、チームはついてくるはずだ」、98年を知るベテランはそう思っていただろう。

 日本代表監督を務めてきたジーコ。「ワールドカップはビジネスになった。暑い時間に試合をしなければいけなかった」。選手起用のミスを認めず、天候を言い訳にした。しかし、敗戦を彼の責任にして片付けることはできない。アグレッシブな攻めを売り物にしてきたブラジル人の監督にとって、守備ありきの組織プレーを重視してきた日本サッカーは馴染まなかった。けれども、彼は選手を信頼した。国内リーグでは成績を残していない選手でも、信じて使い続けた。『世界のジーコ』に見出された代表選手は、それに応えうる活躍ができたか。

 「なぜ走らない! 走らないことにはサッカーはできない」、「チームが仲良し過ぎる」。中田はチームを容赦なく批判した。
 日本は次の4年間をどう戦うか。グランドで倒れてでも、ひたむきにボールを追う姿勢を見せてほしい。チームを引っ張ってきた中田、川口、宮本、中澤、楢崎、土肥らが南アフリカ大会までいるとは限らない。「走らないと――」、その思いを強く持つベテランを欠いてゆく日本代表は、今、新たなるスタート地点に立った。0からの出発。“さまよえる蒼い弾丸”たちを待つ険しい道のり、茨の道の中で、今大会が大きな意味を持つだろう。
(2006年6月24日)


= = = = = = = = = =

中田英寿が引退を明らかにした。

ボールを追いかける中田の姿に心を打たれた人も多かろう。

まだまだ現役で活躍してほしい。
カズはまだ、ボロボロになってもプレーしているじゃないか。

英雄の幕引きはこんなにもあっさりなのか。

まだ、我々は中田に「ありがとう」と言えるだけの準備はしていない。
「4年後も」という思い、誰もが抱いていた。

それだのに。

絶頂の状態で退いていく者をただただ見守るしかないのか。

残念だ。
残念だが、中田の決断を、まずは支持しようではないか。
喝采が鳴る中で去っていく者の美しさを、歯がゆくも賛美しながら。
(2006年7月3日)


© kbst.net